2011年 03月 31日
紀元前2000年頃から約2000年もの間首都として栄えたルクソールにやってきました。 ナイル川を挟みルクソール東側には「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」の遺跡、 対岸の西側の陵には「王家の谷」や「ハトシェプト女王の葬祭殿」があります。 その中でも自分が最も好きな神殿がこのカルナック神殿です。 神殿に入ると参道の両脇にスフィンクスが列を成して出迎えてくれます。 ここは各王が増築を繰り返して出来た神殿であり、そのスケールは計り知れません。 第一塔門をくぐり抜け、中庭の奥には大列柱室が待っています。 高さ23m、全部で134本の列柱が精緻に並べられている姿は圧巻です。 トトメス1世のオベリスクもあります。 オベリスクとは太陽神の信仰の対象として建てられたものです。 別の場所で切りかけのオベリスクを見ることが出来ます。 小さな穴を開けて杭の要領で一枚岩から柱を作っていきます。 当時のエジプトでは商売に表を使用していました。今で言うExcelですね。 そんな文明も発達していたんですね。 こちらはロゼッタストーンを解読したことで有名なシャンポリオンのサイン。 思わず書いちゃったんですよね。 これはラムセス2世のカルトゥーシュだったか? ルクソール神殿は夜の涼しい時間に行ったので、まともに撮れた写真が少ない>< 規模はカルナック神殿よりも小さかった。 対岸のルクソール西側にはハトシェプスト女王葬祭殿と王家の谷があります。 葬祭殿の道の先にはナイル川があり、全ては母なる川に続いているようです。 ハトシェプストは女王としてファラオに君臨し、公的な場には男装までしたらしいです。 この葬祭殿でテロによる無差別銃撃が起きたのは記憶に新しいかも。 王家の谷はツタンカーメンの墓などファラオの墓があるのですが残念ながら撮影禁止。 見学したところは相当深く掘っていて、色鮮やかだったのを覚えてます。 この後、カイロに戻って国立博物館とモスクなどを見学します。
by maitighar
| 2011-03-31 01:02
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